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勉強ノート - 方法序説(4)

 方法序説を読み進めましたよ〜。
 4章は神と人間の魂の存在を証明する論拠について、です。だんだん内容がカルトじみてきた・・・。
 いよいよあの有名な名言の登場です。

第4章 形而上学の基礎

 ちなみに形而上学っていうのは、科学の枠を超えて現実の原則を考える・・・という哲学のジャンル。例えば「なぜ宇宙は存在しているのか?」とかそういう学問です。(wikipedia:形而上学)

 さて、一度第一章に戻ってみましょう。

  1. 注意深く即断と偏見を避ける。少しでも疑わしいものは判断材料に入れない。
  2. 難問は自分が分かるレベルまで細かく分割する。
  3. 自分にとってもっとも単純なものから始める。前後の順序を想定する。
  4. すべて見直しをして、抜けがないかチェックする

 「方法の規則」を踏まえて真理の探究をしてみます。真理を見つけるために、逆に少しでも疑わしいものを偽として徹底的に排除します。自分の中に全く疑いようのないものが残ればそれが真ということになるからです。
 そうすると、いろんなものが疑わしくなります。そんなことを考えているうちに、デカルト先生は気づいたんです。

 ・・・偽であると判断している自分は、何者かでなければならないはずだ。わたしは考える、ゆえにわたしは存在している。これはどんな想定を持ってしても疑いようがない。

 これがかの有名な「我思う、故に我あり」です。

「我思う、故に我あり」の証明

 自分が明晰かつ判明と捉えたから。

  • 明晰かつ判明と捉えるものはすべて真→哲学の一般的な規則としてよい
完全なもの
自分の存在は完全ではない。自分より完全なものとは何か。
一言で言えば、神
神を認識することは多くの人にとって困難だと思い込んでいる。なぜならイメージできないからだ。
「感覚のうちになかったものは、知性のうちにない」と思ってるから
神や魂よりも、体があるとか地球があるとか、そういうものの方がずっと疑わしい。
夢での思考が現実より偽であることを何によって分かるのか?(現実を錯覚して認識している可能性)
まとめ
  • 我々は完全無欠ではない
    • 我々の思考もすべてが真ではあり得ない
  • 実在し真であるすべてのものは完全で無限の存在者に由来している
  • 理性と想像を一緒にしてはダメ
    • キマイラが存在することは想像できるが、そういう生き物がいると結論してはいけない

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